2008年06月17日

泉都生まれの県民食

泉都生まれの県民食
昨日6月16日の大分合同新聞夕刊に【別府恋歌】第4章「食の街」の連載が始まった。

で、ルーツ〈1〉ではとり天発祥の地である別府のとり天のルーツをさぐっている。
って、大分市も「元祖とり天の地」として宣言してるので、大分市内の読者からかなりの抗議の電話があったかもしれませんね・・・・。

上記画像はサムネイルなのでクリックすると大きくなり、記事を読むことができます。


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Posted by YonYon at 13:17│Comments(7)べっぷ的
この記事へのコメント
おじゃましまーすm(__)m 鳥天は別府発祥ではないのですか? 東洋軒とか歴史のあるお店で生まれた物と思ってました。
Posted by MILKHALLMILKHALL at 2008年06月17日 15:04
MILKHALLさん、
上記画像はサムネイルなのでクリックして記事を読んでいただけるとわかると思いますが、歴史的に見ても1930年代に東洋軒で創作されたとり天は別府発祥だと思います。

ただ、大分市のお店が1960年代にとり天を始めたのに、今では元祖と名乗り大分市の行政がそれを後押しするような動きがあるので、話がややこしくなるのです。
http://www.city.oita.oita.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1033

ま、僕的には別府と大分のとり天文化が栄えれば良いと思うだけですけれど・・・・
Posted by YonYonYonYon at 2008年06月17日 15:18
知りませんでした~。
私は大分市の某レストランが元祖ってうたい文句つけていたので
そこが発祥と思ってました。

YonYonさんが言うとおり、県民食として栄えればいいですね^^v
Posted by 小桑 at 2008年06月17日 16:59
小桑さん、
東洋軒だったと思いますけど、1930年代に作成した紙のメニューがまだ現存しているので別府発祥説は間違いないはずです。

別府発祥で大分市でも花開いた県民食として全国にPRいたし、全国から本場のとり天を食べにお客さんが来られる事を望みたいです。
Posted by YonYonYonYon at 2008年06月17日 19:35
はい。まさに仰る通りです。どちらが発祥で目くじらたてるより『大分の』県民食として扱いたいと思います。
Posted by MILKHALLMILKHALL at 2008年06月17日 20:59
初カキコです☆
私も講義が殺到していると思います。
実際、大分市内が発祥と私は思っていました。

私も以前行った事がありますが、誰もとり天を食べませんでした。
結構地元では有名なとり天屋さんだったんですか??
Posted by cocoa at 2008年06月18日 03:56
cocoaさん、
別府の東洋軒のことですか?
東洋軒って中華と洋食のお店というイメージで、僕的にはとり天屋さんというイメージはありませんね。
Posted by YonYonYonYon at 2008年06月18日 10:35
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